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2013.07.16

おひさしぶりに… 重いかな~(@_@;) 

あれから2年4か月 気持的にちょっと落ち着いたかと思う今日この頃。
某業界誌に私が書いた手記をアップしたいと思います。
個人名、団体名は伏せてありますが 宜しかったら読んでみて下さいな。

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「 さらば愛しのおばば様 」  
 
生まれ変わってもあなたの娘に生まれたい… か?? は家族に相談してみます(笑)!!

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平成23年3月11日午後2時46分、それは地鳴りと共にやって来て、母を、家を、町を、すべてを飲み込み、そして焼き尽くして行きました。

 その日、私は○○の本局へ書類を頂きに行く日で、母とろくに話しもしない侭朝からばたばたとして居り、本能的に何かを感じたのか、母の愛犬『八丁堀』がいつになくからんできたのを記憶しています。
 「ハッチ何か変だね~、美香ちゃん直ぐに帰って来るから大人しくしてようね~!運転気を付けるんだよ!行ってらっしゃい。」私を追いかけ異常に吠える八丁堀を抱いて、私を見送ったその笑顔が、私の見た最後の母の姿でした…。

―✳ 海と爺様とおばば様 ✳―

 母は根っから海が好きで、祖父から受け継いだ事務所をとても大切にしていました。
この○○○○事務所は、私の祖父である○○○が造船所、海運局の役人の職を経て開業した事務所で、今の様に冷凍カチンコチン状態で遠い春を待つ我が零細事務所とは違い、○○では中々大きな部類の事務所だったと聞かされています。
 昔の○○の造船界を知る人からは、新しい○○の造船業を目指し、祖父やその他有志が集まり、様々な活動をして枝分かれしていったのが今の○○造船所であり、○○○○であるという事で、○○の造船界が今日に至る礎を築いたのが祖父達だというとんでもない話を聞きましたが、私の記憶にある限り、祖父はお酒が大好きなただの頑固爺さんであった事の方が確かな話です。

 祖父が所長を務めていた当時は時代が良かったのでしょうか、週に2~3隻の新造船が結了する程の造船ブームで、毎日何かしらの申請や臨検があり、検査官の過密スケジュールも大したもので、今だから話せる内緒の話、1日に2つも3つも検査がある時は、検査官は祖父と料亭で芸者をあげてのどんちゃん騒ぎでの待機、その間各造船所では突貫工事の汗みどろ。
順次造船所からの工事完了報告で臨検簿への盲判を押しての検査終了だったそうです。(これって もう時効の話ですよね!?)
 そうそう、そう言えば祖父は今で言うグルメで、「鰻が食べたい…。」と思い立った途端、そこに居合わせた検査官達をタクシーに押し込み、「鰻は松島が旨い!!」と片道1時間をかけてわざわざ鰻を食べに行く事もあったとかなかったとか …。(まぁ しょっちゅうあったらしいんですがねww。 )
そんな良き時代の中、今とは違い確かにお役人は威張ってはいたけれど、役所と造船所、役所と○○代理士のコミュニケーションはとてもよくとれていて、分刻みのスケジュールの中、不備があれば怒号が飛び交い、良い仕事をした後はどや顏、したり顔の拍手喝采、造船所も役所も一体となっての毎日だったとか。
役所との付き合いも盛んで、仕事終わりの麻雀、飲み会。春の花見、秋の慰安旅行、暮れの忘年会 …。
今なら首が飛びそうな、物騒な集まりばかりではありますが、当時は全てが程々にバランス良く穏やかに、和やかに進んでいたそうです。
 考えるに、人対人、気持ち対気持ち。何処かで抜かない事には、本音でぶつからない事には始まりませんからね。
 そんな良き時代、○○○○事務所に一人の「うら若き」を微妙に過ぎた女性が入所しました。
 それが私の母『○○○○』です。
当時の母は自分の意見もはっきり言えない、右を向けと言われれば右を、左を向けと言われれば左を向いたままの大人しいひ弱な女性で、気性の荒い海の男達や造船所の猛者と渡り合うには、少し… いえ、かなり線の細い、からかうには絶好の相手でした。
それでも母は、からかわれても怒鳴られても意地悪されてもメゲズに毎日ナニクソと事務所に通ったそうです。
当時の母のエピソードに『鯉のぼり女』というのがあります。
ある日、仕立てたばかりの派手なパンツスーツをウキウキ気分で造船所に着て行った母を、作業中の厳ついオヤジ連中が「おお~ 向こうから鯉のぼりが歩いて来るぞ~!! よく見たら○○○○事務所のねぇちゃんだぞ~ww 」とはやし立てたそうです。
それを聞いた母は恥ずかしいやら悔しいやらで、次からは地味にすると思いきや、そうはガッテン許さない。
母のナニクソ根性で、以来真っ赤な花柄スーツ、紫のタイトスーツと服装はどんどん派手になり周りは何も言わなく、いえっ、言えなくなったそうです。(おばばカッコいい! イェ~イッ!)
 そんなこんなで母は祖父が亡くなるまで歯を食いしばり、女を捨て(※注 女としての仕事=子育て、家事全般)、時には海運局の慰安旅行について行き人生初のストリップを見に行くというイベントを交えながら○○代理士への道を突き進んで行ったのです。
そのおかげ様で、私と祖母に女としての部分が重く圧し掛かって来たのは言うまでもありません。

―✳ 呪いのお受験から受ける妖気とボールペンが飛ぶ怪奇現象について ✳―

 昭和52年、祖父の死去と共に、それまでバブリーだった○○○○事務所にプチ氷河期が訪れました。
過去に何となく責任もないまま、冗談で2度程代理士試験に失敗していた母でしたが、「免許が無ければ看板を降ろせ!」という悪魔の声を受け、「勉強は大嫌いだけど、今度ばかりは諦めてこれまでの人生なかったくらいに勉強せねば…。」とお受験へと突入したのです。
免許が無ければ勿論仕事は出来ません。
そこで『○○○○事務所』の看板を泣く泣く白看板に塗りつぶし、『海図、図誌販売所』と変え○○○○事務所空白の2年間が始まりました。
 母は元々神経たかりで(○○で〝神経質″の事をこう言います。)、受験勉強中は本人よりも周りがそれはそれは、それは超~っ大変でした。
足音がすると「うるさい!」、話し声がすると「うるさい!」、テレビを見ていると「消せっ!!!」。
だから… スリッパを履かずに抜き足差し足、用がある以外はしゃべらず、話す時はひそひそこそこそ、みたい番組がある時はテレビの周りに皆でピッタリくっついて音はひく~く ひく~く。
結局それも疲れるので全員夜7時頃には就寝 …。
 勉強のサポートも大変でした。
「目を使うのがもったいない。」と言うので単語帳の代わりに私がラジカセに条文を吹き込み、寝る時に大音量のリバースで朝までかけたまま。
当の本人はそれが子守歌に代わり高いびきでしたが。
その他に憲法、民法等に強い家庭教師を頼み、調べ物は私が参考書や辞書で調べ…。
ついには母の目の下のクマより家族の目の下の方が真っ黒けっけになっていました。
 とは言え、チンプンカンプンをせめてチンカン位にはして見せましょうと母の頑張りも大したもので、細い肩はパンパンに凝り、鉛筆を握る手を腱鞘炎にしつつ、その眼は血走り、もはやそれは怨念そのもの、母の周りには妖気すら感じられる日々でした。
そんな辛いお受験にもやっと春が訪れました。
2年目にしての快挙! 『サ・ク・ラ・サ・ク !!!!!』
本人よりも家族の方が地獄からの解放感に万歳三唱、おまけに四唱、狂喜乱舞の花吹雪だったのは言うまでもありません。
「40半ばで頑張った、おばばあなたは本当に偉い! それより偉い私ら家族、夜も日も明けずに感謝しろっ!!」

 その後、造船所は固より、周りの皆様に助けられつつ、75歳の妖怪おばばになるまで、座右の銘である『ケ~セラセラ~♪』で何とか大きな失敗もなく(?)仕事を続けて来た母。
(ちなみに『おばば』というニックネーム(?)をつけたのは、現在○○運輸局にて〝偉い人″という役職を務めていらっしゃる、かの有名な『S氏』です。 素晴らしいセンスに拍手!!)
母の人柄、母の妖気にやられ、慕う若人も徐々に増え、『○○○○におばば在り!』的地位を確立したのでした。
線の細い、ひ弱な女性だったはずなのに、環境って本当、恐ろしいものですね。

母の免許取得から約10年目の春、○○○○事務所に同じく「うら若き」を微妙に過ぎた女性が入所しました。
私ですが何か?
母とは違い、線のごんぶっとい、ひ弱さとはほぼ無縁の私。
座右の銘は勿論母と同じく『ケ~セラセラ~♪』プラス『強い子、よゐこ、元気な子!』。
この二人は性格が似ているせいかしょっちゅうぶつかってばかり。
でも仕事では最強(弱ってか?)タッグで、頑張って来ました。
 そして、『仏の顔も三度』という母の苦手な部分を持ち合わせていた私は母のSOSを受ける度に法的機関各位を目指し勝ち込みをかけまくったのでした。
 そんなこんなであれから十数年、祖母の死去に伴い、事務所を自宅へと移し、頭上を飛ぶ書類やボールペンという怪奇現象を伴う過激なミーティング、空き時間を利用しての数時間に亘るTV鑑賞会等々、多彩なイベントの発生する優良奇業へと発展して行ったのでした。

―✳ さらば愛しのおばば様 ✳―

そんな平穏な日々、ずっと続くはずの穏やかな日々達だったのに。
平成23年3月11日午後2時46分、○○○○事務所に終焉の日が、母との永遠の別れの日が訪れてしまいました。

その日は年に1回有るか無いかの仙台への出張の日。

何時もの出張の時とは違う違和感を感じつつ仙台へと向かった私。
何時もとは絶対違う、何かとてつもない恐怖を感じた八丁堀。
そして、何時もと同じ感覚で私を見送ったであろう母。

それは全てをなぎ倒し、全てを飲み込み、全てを焼き尽くし、全てを変えてしまいました。

事務所の場所は海から直線で700メートル程。
とは言え1960年に起きたチリ地震津波の際にも被害が無く、数日前のチリ地震津波でも警報が出たにも関わらず何事も無かった為、以前から「ここがやられたら日本はお仕舞だよ。」と過信していた母はあの日もご多分に漏れず自宅で呑気を構えながら様子を伺って居ました。
近所の方が「○○さん、早く逃げよう!」と迎えに来た時、「もう直ぐ美香か○○が迎えに来るから。」と頑として動かなかった母 …。

震災から3日後、仙台からの帰り道に被災し、比較的被害の少なかった松島に避難していた私は意を決して○○へ向かいました。
海沿いのインフラはほぼ機能していないだろうと思い、内陸を大きく廻り○○へ。
内陸部は然程被害も無く、多少の陥没やひびがあるものの道路も通行出来思ったより早く○○へと入りました。
 そして…。
愕然としました。
家が、家具が、車が、何が何だか分らない状態に積み重なり、道路であったであろう場所には多分車だったはずの物が転がり、訳の分らない物が散乱している。普段あまり目にしない自衛隊の車が行きかい、迷彩服を着た自衛官に促され人々は虚ろな目をして当てもなく彷徨う。
炊き出しの煙、並ぶ人々。
 まるで戦後の焼け野原です。その時私が思いついた言葉は「終わったな。」 それだけでした。

それからの数か月、母を探しました。探し回りました。探して探して無我夢中で歩き回りました。
探さなきゃなりません。見つけなければなりません。
 病院を、学校を、公共施設を、遺体安置所を。
瓦礫をかき分け、水に浸かり、探せる場所は探しまくりました。
でも見つかりません。でも居ません。でも出てきません。

遺体安置所では相当数のご遺体を確認させて頂きました。
確認するたびに「おばばじゃありませんように…」と願い、母ではないと分ればほっとし、
反面、母じゃない事に苛立ちを覚え肩を落とす。
頭の中と気持ちがちぐはぐでもうぐちゃぐちゃでした。
「早く見つけてあげたい。早く見つけてあげたい。早く見つけてあげたい …。」気持ちはあせるばかり。
でも遺体では見つかってほしくない。

 疲れました。ほとほと疲れました。そしてある日、母を探す日々を止めました。

おばばごめんね。もう探せないよ。もう見つけられないよ。
だから ごめんね。本当にごめんね。

平成24年4月11日11時00分 故○○○○ 葬儀 喪主 長女 pawaket。

○○○○ 世壽76歳                

… さらば愛しきおばば様   
思うに、良い人生だったよね。幸せだったよね。だった? よ? ねっ!!

―✳ 小説の様に『あとがき』なんぞを書いてみる。 ✳―

あの日から1年。自分に諦める様にと言い聞かせ、やっと母の葬儀を挙げる事が出来ました。
周りの方々には随分とご心配をお掛けし、色々とお声掛けやらお手助けも頂きました。
とにかく感謝感謝の気持ちで一杯です。
本当に有難う御座いました。
特に、○○代理士会の皆様方及び代理士の先生方には、夫である○○○○を長とした『○○○○事務所』を起ち上げるに当たり、色々なアドバイスやらお手配りを頂き、感謝だけでは言い尽くせない思いがあります。
○○代理士が世襲のものでは無いにせよ、母、○○○○の遺志を継ぎ、皆様に恥じぬ様、イベントはそこそこに、これから精進して参りたいと存じますので、ご指導ご鞭撻の程、宜しく御願い致します。

 又、今ここ、この部分を読んでいらっしゃるあなた様、某国営放送の朝ドラの最終話や韓国ドラマの最終回の様にぎゅぎゅっと無茶に詰め込んだ『それから10年後』的文章仕立てになってしまいましたが、メゲズに読んで下さって本当に有難う御座いました。

あっ 多分気になっていらっしゃる方が居る か な? と思いますので最後に。

家族に相談しなくても、「生まれ変わっても母の娘になりたい」と思います。
だって おばばは私にとって、世界中で1番不愉快で、世の中で1番愉快な人だから。
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